中国における「新型コロナウイルス阻止戦」の実態 ─感染への恐怖から経済へと移る中国人の関心─
日本とは異なる中国の最新コロナ事情を北京からレポート
■死者数など、当局報道の正確性はどうか
2月23日午前現在、中国での死者は2,445人となっている。
海外では実際の死者は10倍などと本気で語る人もいるが、現段階においてこれはまずありえない。死者を後で調べたら新型肺炎が原因でした、という事例は少なからず生じるだろうが、国のトップから正確な報告を上げるように指示が出ている現在、地方幹部が数字を過小に伝えるメリットはどこにもなく、そんなことをしたら下手すれば監獄行きとなる。
むしろ中国国内では「患者狩り」というべき状況が繰り広げられていて、発熱を隠す者は処罰対象。解熱剤を買うのにも身分証が必要となっている。患者の定義が中国と海外では微妙に違うため、今後定義の見直しでいきなり患者数が増えることはあっても、死者10倍は考えられない。
話を戻せば、これから果たしてどれだけの人が職や家業を失い、露頭に迷うのか…ということに、市井の人々だけでなく政府も既に気づいていて、中国では防疫と経済復興を両立させよという流れに傾いている。
中国国営メディアは新型肺炎との戦いを「新型コロナウイルスによる肺炎の防止・抑制阻止戦」、経済を正常な軌道に戻すことを「経済防衛戦」と呼ぶ。このふたつの総力戦において人民は奮闘すべし、とりわけ党員は模範となって挺身せよと喧伝される。中国は何事においても戦争に例えて話すのが大好き。つまり、表向きは準戦時体制のような雰囲気になるのだが、人々はそのような勇ましい掛け声に乗せられることなく、もう少し冷静に事態を眺めているのが実際のところであろう。
■一連の騒動が生んだ中国の変化・現象
この度の一件で新たに生じたプラスの現象もある。そのひとつが、中国人の対日イメージの変化だ。2011年の東日本大震災時、中国ネット界隈では心ない声がしばしば見られた。それにひきかえ、今回の新型肺炎で日本の民間団体や企業が世界に先んじて支援の手を差し伸べたことに対し、中国国内の反応は驚くほど称賛一色に染まった。
こういう場合、過去であれば「歴史を忘れるな」「奴らの本性は変わらない」といった論調が目に入ってくるのが常態だった。ところが本音が語られる匿名のネット空間において、今回のことに関しては中国の人々は本気で日本の行動に感動し、賛辞を惜しまない。
もちろん『4月の主席訪日を成功させたい』、『米国との関係が悪化している今は日本とまでモメたくない』という中国側の思惑から、日本の支援が中国メディアで大きく報じられていることも理由としてある。とはいえ、それだけでは中国の人々の日本礼賛を充分に説明できないと感じる。何しろ、日本で感染拡大が始まったことにも、同情のみならず「申し訳ない」なんて言葉が出てくるのだ。
もっとも、それに対して日本側の中国に対する国民感情はさほど変わっていないのも事実。やがて事態が落ち着いた時、両国の認識ギャップが露呈し、反作用を起こすかもしれないが、少なくとも現状において日本の支援が中国人を勇気づけたことは間違いない。
また、感染拡大を防ぐためにさまざまなハイテクの活用が進んだことも注目に値する。封鎖地域への物資配達や治安パトロールにドローンが使われ、感染発生エリアや自分が濃厚接触者であるかどうかを調べるアプリも生まれた。
当然、その過程には混乱があり、大学教員をしている筆者の友人はいきなり「オンライン授業を開始せよ」と言われ、準備も教材作りも到底間に合わないと発狂寸前になっていた。しかし、基本的には何事も見切り発車、トライ&エラーで進むこの国では、失敗を繰り返しつつも何かが生まれるのである。
ただし、中国政府は経済見通しが明るいことをアピールしたいがために、危機下におけるハイテクの活用を誇張して報じている。それらを鵜呑みにするのは危険だが、今回の一連の騒動による、思わぬポジティブな副産物であることもまた事実だろう。
■騒動鎮静後の中国はどうなるのか…
では、今後どうなるか。これを確実に言い当てられる人は、おそらく地上に存在しない。それでもあえて予測するならば、大方は元通りになるだろう。
経済が止まったといっても、産業基盤が破壊されたわけではない。なんだかんだ言っても中国は富める国。他国に比すれば打つ手は充分にある。おそらくは、ここぞとばかりに湯水のごとく経済対策を打つに違いない。それによって産業構造がますます歪むかもしれないが、お得意の泥縄式で、その時になったら考えるのだろう。
また、今回のことで「国民は政府を批判することに目覚めた」という人もいるが、これも事態が落ち着いていくにつれ統制の締め直しが起こるのではないか。筆者は政治記者ではないので確たることは言えないが、この国において例の人の権力基盤、そして党の力とは絶対的なものである。唯一揺らぐことがあるとすれば、最高権力者の健康不安が生じた時のみであると感じる。
今回の防疫のスローガンで「生命は泰山(中国が誇る名峰)より重い」というものがあるが、実際には死者のケタが10倍になったとしても、中国の政治システムは微動だにしないのではないだろうか。
むろんこれらはあくまで予想にすぎない。今この瞬間も普通に社会が回っていること自体不思議なほど巨大で、なおかつ秘密主義を貫く国について、何かを断言するのは極めて困難だ。
中国で暮らしていると、平時においてものけぞるような驚きがある。ところが長く中国にいる日本人はだんだんと感覚が麻痺してきて、少々のことでは動じなくなる。この国に染まり、身も心も大陸人となってしまうわけだ。
筆者はまだ中国生活数年目、日本人の感覚を辛うじて保っているつもりである。すっかり現地人化した者の戯言と思わず、ぜひ現地の実情を知るよすがとして、本稿を参考にしていただければ幸いだ。
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